余談となりますが、ネットを見る中で、米原の七夕伝説が彦根の近くに在ることから、「彦根」の「彦」は「彦星」の「彦」からきていると誤解している方も有るようですが、間違いです。
「彦根」の「彦」は、天照大神の御子に天津彦根命(あまつひこねのみこと)、活津彦根命(いきつひこねのみこと)の二神がいて、このうち活津彦根命が活津彦根明神として彦根山に祭られたことに由来したとされています。天照大神が卑弥呼だという説もありそれを事実だと仮定して話を進めると卑弥呼が生きていたと推定される時代は3世紀前半、雄略天皇や仁賢天皇が生きていたと推定される時代は5世紀後半であり、200年ほど彦根の由来となった活津彦根命が古いことになります。
そして、活津彦根明神を祀った彦根山に、1603年には彦根城の築城が始まり、その時に、活津彦根明神を祀った社は移築でなく破壊されたという何とも罰当たりな真実もあり・・・。
その後、井伊家七代目当主井伊直惟の時の1734年(享保19年)5月28日、田中神社の相殿に活津彦根命を移し、8月5日、田中神社の社号を彦根神社と改めました。社紋も井伊家ゆかりの紋所、井桁、橘とし、彦根神社は彦根の惣社となりました。
特集
彦根の隣・米原に残る七夕伝説?七夕実話?
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。